歴史が苦手な人へ〜なぜ歴史を学ぶのか?ー歴史を学ぶ意義ー〜

なぜ歴史を学ぶのか?

なぜ歴史を学ぶ必要があるのか?

それは学校の歴史教育を受ける誰もが持つ疑問です。

ほとんどの人が「歴史を学んでも実生活には役に立たない」と思っているのではないでしょうか。私自身も学生時代には「歴史を学んでも直接、実生活には役に立たない」もっと言うと「収入にはつながらない」と思っていました。

それでも歴史の学習を続けてこられたのは新しく歴史の知識を得ることが純粋に楽しかったからだと思います。

しかし、すべての人が歴史を学ぶことに喜びを感じるわけではありません。そこで、ここでは私なりに考えた歴史を学ぶ意味を説明していきたいと思います。

歴史学習は人生の基礎トレーニング

まず、歴史を学ぶことはスポーツで例えるなら「走り込み」や「筋トレ」のようなものと言えます。「走り込み」や「筋トレ」のような基礎トレーニングはそれ自体が野球やサッカーといった競技の技術向上に直接つながるわけではありません。

しかし、このような基礎トレーニングを通して基礎体力を上げて置かなくては良い選手にはなれないでしょう。ある意味で歴史を学ぶことは人生という競技を勝ち抜くための基礎体力づくりと言えます。

歴史は過去の人々の営みを学ぶ科目です。現在は過去の結果であり、未来は過去から現在の延長線上にしか存在しないのです。すべての学問、仕事、組織にも歴史があります。今、このブログを読んでくれている皆様の人生にも歴史があるのです。そう考えると、どこで生きていこうとも所属する組織やそこで行なう仕事、学問の歴史から離れては生きていけないのです。自分に関係することの歴史を知ればきっと円滑に物事を進めていくことができるでしょう。

学びは学生だけの特権ではない

これからの時代は、学習は学生だけのものではなくなっていきます。「生涯学習」という言葉も随分前から出てきました。私は歴史の学習と「生涯学習」は相性が非常に良いと思っています。

歴史を学ぶ習慣がつくと、学習が苦ではなくなります。歴史の学習は「いろいろなことを知りたい」という知識欲を刺激します。この「いろいろなことを知りたい」という気持ちが育つと自分からいろいろなことを学ぼうとするため、人生が豊かになり、自分が生きる世界が広がります。

この人生が豊かになり、自分が生きる世界が広がるという感覚は自分から多くのことを学ぼうとするようにならないとわかりませんが、自ら学んでいる人にはわかる感覚だと思います。私が言えることは、「とにかく騙されたと思って歴史の学習を始めてみてほしい」ということです。

歴史の学習を通して、自ら学ぶ習慣がついてしまえば、どの分野に進んでも自ら成長していくことができるでしょう。これこそが人生という競技を生き抜くための基礎体力なのです。

特に現在は必要な情報は自分で取る時代です。自分で調べ、自分で学べる人だけが悪い大人に騙されずに自分の人生を生きることができるのです。歴史の学習を通して、世の中を自分の目で見て自分の足で歩いて行く楽しみを知ることができれば、それこそが歴史を学ぶ意味といえます。