126代続いている皇室の初代天皇
「神武天皇は実在したのか?」
これは古くからある歴史論争です。神武天皇は初代天皇だとされています。当ブログでもたびたび取り上げてきた神武天皇ですが、現代の歴史学においてはその存在は否定的に捉えられています。その理由は『古事記』『日本書紀』(総称して記紀という)といった歴史書に記されている神武天皇の在位時期があまりに古すぎるためです。そのため、神武天皇は記紀の編纂者たちによって捏造された架空の人物だと考えられているのです。
それでも初代天皇は実在する
令和の時代となった現代の今上陛下は第126代目の天皇です。皇室は公称2700年以上続いている世界最古の王室です。その歴史があまりに長すぎるために初代天皇である神武天皇は神話と歴史をつなぐ存在となっています。しかし、確実に言えることは第126代天皇が存在する以上、初代天皇は存在するということです。脈々と天皇の歴史が続いている以上、最初の一人は必ず存在するのです。
神武天皇の業績はでっち上げなのか?
そもそも通説となっている「記紀の編纂者たちは皇室の歴史を長く見せるために初代神武天皇から第9代開化天皇までの歴史をでっち上げた」は本当なのでしょうか。当時の記紀の編纂者たちはなぜ、皇室の歴史を必要以上に長く見せる必要があったのでしょうか。王朝の始祖の歴史を捏造してまで歴史を長く見せる合理的な理由が見当たらないのです。この通説は記紀の記載内容と考古学研究の結果をすり合わせるためにでっち上げられたものといっても過言ではないでしょう。
また、神武天皇の業績が記紀の編纂者たちによるでっち上げという説にも疑問を持たざるを得ません。なぜなら本当にでっち上げるのであれば神武天皇の出身地を九州南部にする理由がわからないからです。神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコ、後の神武天皇)は九州南部から東征を開始してヤマトに入りました。これは神武天皇の祖先であるニニギノミコトが天孫降臨した地が九州南部の高千穂だったからです。
しかし、本当に神武天皇の業績をでっち上げるのであれば、記紀の編纂当時に後進地帯だった九州南部ではなく、九州北部や畿内を天孫降臨の地とすれば良かったはずです。それにも関わらず、天孫降臨の地は九州南部であり、神武天皇の出身地も九州南部だと記載したのは、それが何らかの歴史的事実だったからだと考える方が合理的です。
まとめ
神武天皇については以下のように考えられます。
1、初代天皇は実在した。
2、しかし、歴史が長すぎたため実在した時期は記紀の編纂者も掴めていなかった。
3、初代天皇は九州南部出身であり、後にヤマトに入って即位した。
4、記紀の編纂当時、初代天皇の名前は神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコ)だと伝えられていた。
(神武天皇は漢風諡号であり、後の奈良時代に成立)。
よって、現時点では神武天皇でっち上げ説には反対せざるを得ません。今後、研究が進み、新たな考古学的な発見があれば、神武天皇の実像が掴める日が来ることを楽しみに待ちましょう。