昨日今日と2日続けて埼玉西武ライオンズに力の差を見せつけられることになった中日ドラゴンズ。
現在進行形の長い長い暗黒時代を終わらせるために始めたこの連載も3回目です。今回はこの暗黒時代のドラゴンズの現場、つまり監督をはじめとした首脳陣と選手達について考えてみたいと思います。
まず、中日ドラゴンズの暗黒時代を語るにあたって、その始まりはいつからなのかを考える必要があります。
私自身は8年連続Aクラス、優勝4回、日本シリーズ進出5回、日本一1回という黄金時代を築いた落合博満監督を更迭した時から中日ドラゴンズは下り坂を転がり始めたと認識しています。
しかし、続く高木監督時代も1年目はAクラスでしたから、ここでは暗黒時代の始まりを高木監督2年目(2013年)から始まったと定義したいと思います。
結論を先に書きます。私は2013年から始まった中日ドラゴンズの暗黒時代においても、監督をはじめとした首脳陣、そして選手達は皆それぞれにドラゴンズの勝利にむかって全力を発揮していたと思っています。
考えてみればプロである以上、当たり前のことですが、皆は手を抜くことは無かったと思っています。しかしながら、その結果が6年連続Bクラスという球団史上最悪の暗黒時代となっているのです。
それでは駆け足ですがこの暗黒時代を振り返っていきましょう。
前年のクライマックスシリーズファイナルのジャイアンツ戦で高木監督と権藤投手コーチが選手起用をめぐって言い争い。全国中継で醜態をさらしました。
その結果かどうかはわかりませんが権藤投手コーチが2012年シーズンをもって退任。
また、ブランコ、ソーサ、ソトの3人の外国人選手がベイスターズに移籍してしまいました。一方でルナ選手が加入するなど、何とか戦力補強をしようという姿は見えました。
この2013年のシーズンから長い長い暗黒時代が始まります。高木監督の采配は「勝ちたい!」という気持ちは感じる積極的なものでした。
ただ、黄金時代の主力選手が残っているこの頃、むしろむやみに動かずない方がシーズン通しての勝率は高くなったような気がします。
高木監督の積極采配は、別の見方をすれば、ただただ我慢ができないだけのようにも見えました。この頃にブルペンデーという言葉が聞かれるようになりました。早い回に先発投手に代打を出してしますことでリリーフ投手の負担が蓄積されているように感じました。
私の中では毎日、田島投手、岡田投手、武藤投手が投げている印象です。
暗黒時代の発端となったのは間違いなくこのシーズンですが、黄金時代を築いた落合監督の後釜という誰がやっても叩かれるドラゴンズの監督という火中の栗を拾ってくれた高木監督を責める気にはなれません。
高木監督のあとを受けて、監督に就任したのが谷繁監督です。
2014~2015年は選手兼任監督として、2016年は8月に休養するまで選任監督としてチームを率いてくれました。
谷繁監督が就任したその年に遊撃手として不動のレギュラーだった井端選手が退団しています。いきなり、チームの柱が1本なくなった形でスタートします。
その後も和田選手が引退し、井端選手と入れ替わるような形でジャイアンツから移籍した小笠原選手が引退するなど、ベテラン選手がチームを去っていきます。
外国人選手では2014~2015年までは引き続きルナ選手がいましたが、年々成績は下降線を辿ります。2016年からはビシエド選手が加入しました。
谷繁監督時代にチームの万年Bクラスが固定されたような印象を受けますが、黄金時代を彩ったベテラン選手が次々と第一線を退く苦しいチーム事情を考慮する必要があるでしょう。
また、何よりも長年チームの扇の要であった正捕手谷繁元信選手を欠いた戦いを強いられたという点を谷繁元信監督の評価の際には考慮したいものです。
もしお手元に選手名鑑があるならば、谷繁元信選手がいた2015年と谷繁元信選手引退後の2016年の投手陣の成績を見比べてみてください。又吉投手を除いて軒並み防御率が悪化していることに気がつくはずです。
これはかつてスワローズを率いた古田兼任監督にもいれることですが、兼任監督である以上に正捕手であった古田ないし谷繁の出場機会が激減したことがチーム低迷の要因だったように思えます。私はもう一度、谷繁、古田両氏が監督をする姿を見たいと思っています。
このころになると、チームは負けることに慣れきっています。
2017年に森野選手が引退してからは勝ち方を知っているベテラン選手は荒木選手と藤井選手くらいです。外国人選手は2017年に本塁打王を獲得したゲレーロ選手。そのゲレーロ選手がジャイアンツに移籍した2018年にはアルモンテ選手を獲得しています。
開幕カード3連敗は当たり前。この2年間で勝率が5割を上回ることは1度もありませんでした。
しかし、土井、森脇両コーチを迎えた野手陣は着実に力をつけ、2018年にはセ・リーグで唯一広島カープに勝ち越しました。
一方で投手陣は底が抜けたような状態でした。悲惨な逆転負けは数知れず。投手陣がぐちゃぐちゃの状態で試合をするということは最低限の品質保証がされていない商品を市場に出すようなものだと実感しました。
もう野球を見に行くのはやめよう。テレビで見るのも苦痛だ。という日々が続きました。
しかし、本当に辛いのは球場に行くのをやめることもできず、テレビを消して現実から逃れることもできない現場の首脳陣や選手達だったのだと思います。
2018年をもって、岩瀬投手、浅尾投手、荒木選手が引退し、森繁和監督も退任しました。一つの時代が終わったのです。
頂点まで登り、一番したまで降りてきた感覚でした。
こうして暗黒時代を振り返ってみると、現場はそのときどきで全力で戦っていたと思います。しかし、黄金時代の選手が次々と去っていくなかで圧倒的に戦力が不足していきました。
それにも関わらず、外国人選手を獲得する以外に効果的な戦力補強をしてこなかったのはなぜなのでしょうか?
オーナー企業である中日新聞社は答えをほのめかしています。「金がないからだ」と。しかしそんなことが言い訳になるでしょうか?もっというと「だったら中日ドラゴンズの決算を公表すべき」だと思います。
果たして、中日新聞社は中日ドラゴンズを強いチームにする意志があるのでしょうか?その気がないのなら、球団経営から身を引くべきでしょう。
それがひいてはドラゴンズファンのため、日本球界の発展のためになると思います。反論があるならドラゴンズが優勝してから聞きましょう。