中日ドラゴンズはなぜ弱いのか?⑪〜祝!大野雄大投手ノーヒットノーラン達成〜

ノーヒットノーラン達成

中日ドラゴンズがなぜ弱いのかを考える本企画ですが、今日は素晴らしいニュースが入ってきたのでそれを取り上げます。

もちろんそのニュースとは大野雄大投手のノーヒットノーラン達成です。

今週は広島カープとの3連戦に負け越した上に、昨日の敗戦があって何となく「今シーズンもここまでか・・・」というような心境でしたので格別に嬉しいニュースでした。

私自身も今日の試合はテレビで観ていたのですが、音量を下げており、他のことをしながら観ていたので8回の途中まで大野雄大投手がノーヒットピッチングをしていたことに気がつきませんでした。

しかし、ノーヒットピッチングをしていることに気がついてから、にわかに音量をアップ。9回はドキドキで観戦しました。

最後の打者、近本選手の打球が飛んだ時にはヒヤリとしましたが、ボールは高橋周平選手のグラブにおさまり、大記録を達成しました。

黄金時代の落とし子

豊作ドラフトの年に

少し昔話をしたくなりました。

大野雄大投手は2010年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団しました。

この年のドラフト会議ではハンカチ王子こと斎藤佑樹投手やその斎藤佑樹投手と同じ早稲田大学の大石投手に1位指名が競合しました。

斎藤佑樹投手のクジを外したヤクルトスワローズは外れ1位で山田哲人選手を獲得したり、ソフトバンクホークスはドラフト2位で柳田悠岐選手、育成ドラフトで千賀投手と甲斐捕手を獲得するなど、なかなかの豊作ドラフトでした。

そんな中で当時の中日ドラゴンズはケガをしていた大野雄大投手をドラフト1位で一本釣りしました。

当時は落合監督率いる中日ドラゴンズの黄金時代。即戦力にならなくても将来のドラゴンズを背負う選手をじっくりと育てるという方針とその方針を許すだけの戦力的余裕もありました。

マジック1のプロ入り初登板

大野雄大投手のプロ入り初登板は忘れもしない2011年9月。

その年の中日ドラゴンズは8月に首位を走っていたヤクルトスワローズに10ゲーム差をつけられるも9月に入ってから一気にヤクルトスワローズを抜き去り首位に浮上しました。

そんな大切な優勝争いの最中に落合監督解任のニュースが入ってきたことは以前このコーナーで触れました。

中日ドラゴンズはなぜ弱いのか⑥〜暗黒時代の始まりとファンも見ない球団の本質〜

そして当時ルーキーだった大野雄大投手は優勝争いも大詰めのマジック1で迎えた読売ジャイアンツとの3連戦の初戦でプロ入り初登板初先発をします。

その試合自体は負けてしまいましたが、将来のエースになってほしいという当時の首脳陣の期待とケガを持っていながら獲得した大野投手に大舞台での経験をさせたいという当時の首脳陣の責任を感じました。

まさに大野雄大投手は中日ドラゴンズ黄金時代が最後に残した落とし子のような選手だと私は思っていました。

ドラゴンズのエースへ・・・そして挫折

その後の大野雄大投手は順調にキャリアを重ねていき、素晴らしい直球を武器に3年連続2桁勝利を上げるなど、ドラゴンズのエースへと成長していきました。

大野雄大投手の直球が右打者の内角にズバッと決まって三振をとる姿はまさにエースでした。間違いなくこの時は左腕の先発投手の中では日本一の投手だったと思います。

しかし、谷繁捕手の現役引退を境にして大野雄大投手もだんだん勝てなくなっていきました。特にあの素晴らしかった直球は鳴りを潜め、ツーシームに頼るような投球が多くなっていった印象でした。

そして昨季はとうとう勝ち星0。

このまま終わってしまうのかと誰もが思った今季、大野雄大投手は復活しました。4月に大野雄大投手の直球を見たときに「大野雄大が帰ってきた」と思いました。

そして今日の大記録達成。

長い苦しみの期間を超えて中日ドラゴンズの真のエースに成長してくれると信じています。本当におめでとう!

ぜひあと1勝して久しぶりの2桁勝利も達成して欲しいものです。