歴史とは何か?
今回はいきなり本質をついていきます。「歴史とは何か」この問は歴史を学ぶ者なら誰もが考えることだと思います。そして、この問ほど人によって答えが異なるものはないのではないでしょうか。
そう考えると、これから歴史について記していくにあたって「歴史とは何か」という問いの私なりの答えを記しておく必要があると思いました。以下、私なりの「歴史とは何か」をつらつらと記していきます。お付き合い下さい。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これはドイツ帝国の宰相を努めたオットー・フォン・ビスマルクの言葉と言われています。一人の人間の経験はせいぜい数十年分に過ぎないが歴史は悠久の時の中で過去に生きた多くの人々の人生の経験が積み重なったものである。よって賢者は自分の人生の経験だけではなく多くの人の経験の積み重ねである歴史から学ぶという意味です。
歴史とは人間を人間たらしめるもの
歴史を学ぶということは多くの人の人生の経験を学ぶということです。そして歴史を学ぶことが我々人間と猿を分ける決定的な違いなのです。
かつてこの地球上には、我々、現生人類以外にも多くの人類が生息していました。その中でもネアンデルタール人は、現生人類と比べても脳の容量はほぼ同等であり、身体能力では現生人類を上回っていたと考えられています。
しかし、現在、地球上にはネアンデルタール人はいません(一部交配があったため現生人類にもネアンデルタール人の血が流れていますが種としてのネアンデルタール人は絶滅しました)。
それではなぜ現生人類が生き残り、ネアンデルタール人は滅びたのでしょうか。それはネアンデルタール人に比べて現生人類が複雑な言語を操ることができ、様々な技術や経験を子孫に伝えることができたからだと考えられています。
つまり、現生人類にあってネアンデルタール人になかったもの、それは歴史を学ぶことだったのです。
歴史を学ぶことで新しい発見を次の世代につなげることができる。世代を超えて経験を積み重ねていけるのです。歴史を学ぶことができないネアンデルタール人は新しい発見があっても次の世代には伝えることができません。世代が変われば経験はリセットされてしまうのです。
ネアンデルタール人に限らず地球上の生き物は突然変異による進化によって環境の変化等に対応してきました。しかし現生人類は突然変異に頼らなくても歴史を学ぶことによって世代を超えて経験と積み重ねて行くことで急激に進化してきたのです。
当初は言葉によって語り伝えられていた歴史は「文字」の発明によって書物によって伝えられるようになります。かつては書物は高価なもので一部の人しか手に入れることができないものでした。歴史は一部の特権階級のものだったのです。しかし、現在は簡単にそして安価に歴史を学ぶことができるようになりました。
よって今回の結論は、「歴史とは人類を人類たらしめるもの」と言うことができるでしょう。そして現在、その歴史を学ぶことに多額のコストはかかりません。誰でも好きに歴史を学ぶことができる素晴らしい時代に人間として生まれたのですから、我々は幸運です。さぁその幸運に感謝しつつ、歴史を学んでいきましょう。