三種の神器とは?
三種の神器と言えば昭和の御代、昭和30年頃には、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫といった家電が三種の神器と言われましたが今となっては思い浮かべる人はもう少ないかもしれません。その後、日本が高度経済成長期に入った頃には、こうした家電三種の神器はカラーテレビ・クーラー・自動車へと進化しました。しかし、それも遠い昔のお話。割と最近(西暦2000年代)にはデジタルカメラ・DVDプレーヤー・薄型テレビのデジタル家電三種の神器というのもありましたがあまり浸透しませんでした。
日本では家電に限らず、「三種の神器」なる言葉を用いて何だか高貴なものというか大切なものを表現して来ました。
今回はこの三種の神器について考えてみたいと思います。
そもそも三種の神器って何だっけ?天叢雲剣(草薙剣)・八咫鏡・八尺瓊勾玉
三種の神器は歴代の天皇が皇位継承の徴(しるし)として引き継いできた宝物です。
その始まりは皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が孫である天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと以下ニニギと記します)を高千穂峰に降臨させる際に持たせたものとされています。ニニギは三種の神器を携えて地上に降り立ち、その子孫が現在の皇室に繋がっていきます。三種の神器は神話の時代と人間の時代を繋ぐ象徴でもあるのです。
具体的に三種の神器とは3つのことを言います。
1、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれる。
2、八咫鏡(やたのかがみ)
3、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
以上の「剣・鏡・勾玉」の3つを三種の神器と言います。これら三種の神器は皇位継承の儀式の際に箱に入った状態で登場します。最近でも上皇陛下から天皇陛下への御代替わりの際に剣璽等承継の儀が行なわれたので覚えている人も多いのではないでしょうか。常に箱に入った状態で安置されているため、三種の神器の実物は歴代の天皇ですらも、実際に現物を見ることができないものでした。
皇居にあるのは八尺瓊勾玉だけ?
また、皇居には八尺瓊勾玉が安置されていますが、天叢雲剣と八咫鏡は形代(かたしろ)と言われるレプリカが安置されています。皇位継承の際も天叢雲剣と八咫鏡は形代を使用します。現物はというと天叢雲剣は熱田神宮、八咫鏡は伊勢神宮のご神体として祀られています。
三種の神器なしで即位も可能!?
ちなみに三種の神器は皇位継承の徴として歴代の天皇に継承されてきましたが、中には三種の神器なしで天皇に即位した方もおられます。例えば後鳥羽天皇。後鳥羽天皇が即位した時、三種の神器は平家が奉ずる安徳天皇と共に西国にありました。しかし、治天の君である後白河法皇らの尽力によって後鳥羽天皇は即位しています。
その他にも、現在は歴代の天皇にカウントされていませんが南北朝時代の北朝の天皇は皆、三種の神器がなくても立派に天皇として即位しています。
このように三種の神器は皇位継承の徴ではあっても、それがないから天皇に即位できないというわけではないのです。もちろん三種の神器なしの即位はたいていが非常事態でありますから、そのような事態にならないに越したことはありません。
次に天叢雲剣・八咫鏡・八尺瓊勾玉について少し詳しく見ていきましょう。
天叢雲剣(草薙剣)
天叢雲剣は鉄剣か?
天叢雲剣が青銅製の剣なのか、それとも鉄製の剣なのか、はたまた我々が想像もしないような鉱物によって作られているのか誰にもわかりません。
天叢雲剣は、素戔嗚尊(すさのおのみこと以下スサノオと記します)がヤマタノオロチを退治した際に現れたとされています。具体的にはスサノオがヤマタノオロチの尾を切った時にヤマタノオロチの尾から剣が出てきました。その剣が天叢雲剣です。
この話は『古事記』『日本書紀』等に出てくる出雲を舞台とした神話です。スサノオは伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)が禊をしたときに生まれた神様です。この時に天照大神も生まれているので天照大神とスサノオは兄弟といえます。
ヤマタノオロチは8つの首と8つの尾を持った龍のような怪物です。ヤマタノオロチが何を意味するのかわかっていません。しかし「出雲地方で発達した「たたら製鉄」の製鉄炉のことではないか」という説があります。そうだとするとヤマタノオロチは出雲地方の製鉄を生業としている人達の象徴であり、その尾から出てきた天叢雲剣は鉄剣ということになります。
天叢雲剣から草薙剣へ
天叢雲剣は歴代の天皇によって継承されました。そして第12代景行天皇の時代に日本武尊(やまとたけるのみこと以下ヤマトタケルと記します)が東国を征討する時に当時伊勢神宮に祀られていた天叢雲剣を持っていきます。ヤマトタケルは景行天皇の皇子です。
ヤマトタケルは途中、駿河国(あるいは相模国)で野原で火攻めにあいます。その時、天叢雲剣で周囲の草を薙ぎ払ってピンチを脱出したことから天叢雲剣は草薙剣と呼ばれるようになりました。ちなみに駿河国は現在の静岡県東部、相模国は現在の神奈川県です。
現在は熱田神宮に祀られている
後にヤマトタケルは草薙剣を尾張の宮簀媛命(みやずひめのみこと以下ミヤズヒメと記します)に預けて伊吹山の神と戦いに行って死んでしまいます。ミヤズヒメの一族は預かった草薙剣を熱田に移して祀るようになったということです。
八咫鏡
天岩戸(あまのいわと)の神話
八咫鏡も誰も実際に見たことがないので、銅鏡なのか、鉄鏡なのかわかりません。
八咫鏡は天照大神が岩戸隠れをした際に伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)らが作ったとされています。天照大神の岩戸隠れも神話です。スサノオの狼藉に怒った天照大神が天岩戸に隠れてしまいます。太陽神の天照大神が隠れてしまったので世界は真っ暗になったといいます。
この神話を日食のことだという説もあります。
この時に他の神様たちは天照大神に岩戸から出てきてもらおうと知恵を絞ります。そして天宇受賣命(あめのうずめのみこと以下アメノウズメと記します)が踊り、他の神様たちが大笑いしている声を聞いた天照大神が岩戸から少し顔を出し「自分が岩戸に隠れているのに、なぜ他の神様は笑っているのか」と問います。
アメノウズメが「貴方よりも貴い神が現れたので笑っているのです」といい、八咫鏡を差し出したので天照大神は鏡に写った自分をその貴い神だと思いました。天照大神はもっとよく見ようと岩戸をさらに開けたので手力雄命(たぢからおのみこと)が天照大神を引きずり出して世界は明るくなったということです。
現在は伊勢神宮に祀られている
この時に天照大神を写した八咫鏡は現在は伊勢神宮の内宮に祀られています。実物は誰も見たことがありませんが、天照大神を邪馬台国の女王卑弥呼に比定する説は古くからあり、そうだとすると八咫鏡は三角縁神獣鏡のような銅鏡だったのかも知れません。しかし、そもそも卑弥呼の鏡が三角縁神獣鏡だったかどうかも定かではないため断定はできません。近年では金銀錯嵌珠龍文鉄鏡という「鉄鏡」が卑弥呼の鏡だったという説もあります。
八尺瓊勾玉
三種の神器で唯一皇居に安置されている
八尺瓊勾玉も天照大神の岩戸隠れの際に作られました。
こちらも実見した人がいないため、詳細は不明です。しかし、日本では縄文時代から翡翠(ヒスイ)の勾玉が珍重されていました。それを考えると八尺瓊勾玉はヒスイ製なのかも知れません。
三種の神器を知らずして日本史を語れず
以上、今回は三種の神器についてご説明しました。剣・鏡・勾玉といういずれも古代日本で重要視された宝物が三種の神器として歴代の天皇に継承されていることは非常に興味深いです。
日本の歴史を知る上で「天皇」の存在を抜きに語ることはできません。もちろん三種の神器を知らずに「天皇」を語ることもできないでしょう。しかし、現在の歴史の教科書には三種の神器について記載のないものも多いようです。そのため、このような歴史教育の隙間を埋めるような情報を今後も書いていきたいと思っています。