神武天皇以前の王
初代天皇の神武天皇の出身地は九州南部です。現在の地名で言うと宮崎県のあたりだったと言われています。その神武天皇はある日、塩土老翁(シオツチノオジ)という神様に導かれて東方のヤマトを目指すことになります。
ヤマトは現在の奈良県です。ヤマトはその後、長らく歴代天皇の宮が置かれる土地です。
新たな国造りをするためにヤマトを目指した神武天皇ですが、実はその時、ヤマトには別の王が君臨していました。その名は饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)。饒速日尊は神武天皇がヤマトを目指す前にヤマトに降り立ち、現地の有力者だった長髄彦(ナガスネヒコ)の妹を娶ってヤマトの王として君臨していました。饒速日尊は神武天皇以前の王でした。
神武天皇の即位
神武天皇は武力で饒速日尊たちを圧倒してヤマトを制圧したのではありません。神武天皇のヤマト入りと即位は饒速日尊の協力と禅譲によって実現します。そのため、大和政権発足当初、天皇は強い王ではありませんでした。初期の天皇は豪族たちによって支えられた祭祀王だったと考えられます。
饒速日尊の末裔
一方で饒速日尊の末裔たちは後の物部氏です。物部氏は大和政権の祭祀と軍事を支えていた氏族です。饒速日尊の一族は形式的には王の立場は失いました。しかし、祭祀と軍事という実質において王と呼ぶに相応しい影響力を残したと言えるでしょう。
物部氏はその後、平城京遷都の際の左大臣だった石上麻呂(イソノカミノマロ)の代まで政権の中枢で大きな影響力を持ち続けました。
今回は物部氏のご先祖様が神武天皇東征以前にヤマトの王として君臨していたことをご紹介しました。